第1章:著者紹介
クロード・レヴィ=ストロース(1908-2009)は20世紀を代表するフランスの人類学者です。パリ大学で哲学を学んだ後、1935年にサンパウロ大学の社会学教授として赴任し、ブラジルでのフィールドワークを開始しました。第二次世界大戦中はニューヨークに亡命し、そこでアメリカの人類学から大きな影響を受けます。1949年の『親族の基本構造』で構造主義人類学を確立し、以後、神話研究でも革新的な分析方法を生み出しました(出典:山口昌男『レヴィ=ストロースの思想』)。
第2章:学習のポイント
本書を理解する上で重要な3つの視点:
- 旅行記の形式を用いた文明批評としての側面
- フィールドワークと哲学的考察の融合
- 構造主義的思考の実践的展開 (出典:渡辺公三『レヴィ=ストロース』)
第3章:キーコンセプト
本書における3つの中心概念:
- 文化相対主義:西洋中心主義的な価値観の相対化
- エントロピー的進化:文明化による文化多様性の消失過程
- 構造主義的観察:文化現象の背後にある深層構造の分析 (出典:小田亮『構造主義の思考』)
第4章:重要語句の解説
本書で展開される重要概念は相互に関連しながら、人類学的思考の基礎を形作っています。
文化接触(初出p.32)は、異なる文化の出会いとその影響関係を指し、本書では特に西洋文明と非西洋社会との接触に焦点が当てられています。未開社会(初出p.87)という用語は、近代化以前の伝統的社会形態を意味しますが、著者はこの言葉を価値中立的に使用し、むしろその社会の固有の論理と価値を見出そうとします。
構造(初出p.156)は、本書全体を貫く中心的な分析概念です。これは社会や文化における諸要素の関係性のパターンを示し、表面的な現象の背後にある深層的な秩序を探る視点を提供します。神話的思考(初出p.203)は、西洋的な論理実証主義とは異なる知の様式として提示され、後の『神話論理』シリーズへと発展していく重要な概念です。これらの用語は、単なる専門用語ではなく、人類学的思考を構築する基礎概念として機能しています(出典:青木保『文化人類学の歴史と問題』)。
第5章:図書の評価
『悲しき熱帯』は、20世紀人類学の金字塔として、複数の観点から高い評価を得ています。
第一に、客観的な民族誌的記述と主観的な思索を見事に融合させた文体は、学術書の新しい可能性を切り開きました。フィールドワークという経験を、単なる調査報告ではなく、人類の文明史を考察する深い思索へと昇華させたのです。
第二に、本書は鋭い文明批評として読むことができます。1950年代に既に、グローバル化がもたらす文化の画一化や、近代化の陰で失われていく文化的多様性について警鐘を鳴らしていた慧眼は特筆に値します。この視点は、現代のポストコロニアル研究や環境人類学にも大きな示唆を与えています。
第三に、方法論的な革新性が挙げられます。異文化理解の方法として、主観的な体験と客観的な分析を往還する著者の手法は、後の解釈人類学にも影響を与えました。また、構造主義的な分析手法の実践的展開として、本書は重要な位置を占めています(出典:浜本満『人類学の思考法』)。
第6章:関連情報
本書をより深く理解するためには、同時代の人類学的著作との関連性を押さえることが重要です。特にマルセル・モース『贈与論』は、レヴィ=ストロースの理論形成に決定的な影響を与えました。社会的行為を交換の体系として捉える視点は、本書の分析にも生かされています。
フランツ・ボアズの文化人類学研究も重要な参照点となります。文化相対主義の立場から、各社会の固有の価値を認めようとする姿勢は、レヴィ=ストロースに強い影響を与えました。また、メアリー・ダグラス『汚穢と禁忌』は、構造主義的方法の発展として読むことができ、本書の理解を深める上で示唆に富んでいます(出典:菅原和孝『人類学的思考の現在』)。
第7章:最新の研究動向
現代における『悲しき熱帯』研究は、新たな文脈での読み直しが進んでいます。ポストコロニアル理論の観点からは、著者の視点自体に内在する西洋中心主義が批判的に検討される一方で、その自己批判的な姿勢が高く評価されています。
環境人類学の立場からは、文化の多様性と生物多様性の関連について論じた先駆的著作として、本書が再評価されています。著者が描き出した森林破壊や先住民社会の変容は、現代の環境問題を考える上でも重要な示唆を与えています。
グローバル化時代における文明批評としての価値も、近年あらためて注目されています。文化の画一化や伝統の消失という問題は、現代においてさらに深刻化しており、本書の警告は予言的な意味を持つものとして再読されています(出典:竹沢尚一郎『人類学的思考とは何か』)。
第8章:参考文献リスト
- 山口昌男『レヴィ=ストロースの思想』岩波書店,1983年
- 渡辺公三『レヴィ=ストロース』講談社,2000年
- 小田亮『構造主義の思考』ちくま新書,2000年
- 青木保『文化人類学の歴史と問題』医学書院,1988年
- 浜本満『人類学の思考法』世界思想社,2001年
- 菅原和孝『人類学的思考の現在』世界思想社,2006年
- 竹沢尚一郎『人類学的思考とは何か』世界思想社,2007年
- 橋本和也『観光人類学の戦略』世界思想社,2011年
- 川田順造『レヴィ=ストロース論集』岩波書店,2006年
- 中川敏『思想としての人類学』世界思想社,2009年