まとめ:オンラインジャーナルの歴史は、1990年代初頭にDermatology Online Journalが最初のオープンアクセス医学ジャーナルとなったことから始まります。今日では、インターネット上で数千ものオープンアクセス医学ジャーナルが利用可能となっており、研究成果を迅速に一般に公開することを可能にしています。
初期のオンラインジャーナルの発展
初期のオンラインジャーナルは、研究者間のお遊び文化から始まった。1990年代後半から2000年代初頭にかけて、学術雑誌の電子ジャーナルへの移行が進んだ。この時期の電子ジャーナルの多くは、単に印刷版の雑誌をデジタル化しただけのものであった。しかし、電子媒体の利点を活かし、投稿から掲載までのスピードが上がったほか、必要な文献へのハイパーリンクなども付加されるようになった。欧米の有力な学会誌のほとんどがオンラインで公開されるようになり、電子ジャーナルは急速に普及していった。
オープンアクセスの台頭とその影響
オープンアクセス運動は2000年代初頭に成立した概念で、学術雑誌の高騰する購読費用への反発から生まれた。オープンアクセスを実現する手段としては、著者自身による論文の別サイトへの掲載(セルフ・アーカイブ)と、購読費以外で運営されるオープンアクセス雑誌の創刊が提唱されている。オープンアクセスの普及により、研究成果がより広範な人々にアクセス可能となり、新たなイノベーションやビジネスチャンスを生み出すことが期待されている。一方で、著者側の論文掲載料(APC)の高騰が課題となっており、一本あたり50~100万円に及ぶこともある。
学術出版における技術革新
学術出版における技術革新は、電子ジャーナルの普及を後押しし、出版プロセスを大きく変えてきた。デジタル技術により、論文の投稿から査読、編集、公開までのプロセスが効率化され、迅速化した。人工知能(AI)の活用も進んでおり、査読者のマッチングや剽窃チェック、言語校正などにAIが用いられている。また、セマンティック・ウェブ技術により、論文中の専門用語の定義へのリンク付けなども可能になっている。こうした技術革新により、研究成果の発信と共有が促進されている。一方で、電子化の進展により、出版社の伝統的なビジネスモデルが揺らぎ、出版サービスの存続が危ぶまれるという指摘もある。
剽窃チェッカーのデモ
2025年、オープンアクセス義務化の動き
オープンアクセス(OA)の義務化に向けた動きが世界的に加速している。2023年5月のG7仙台科学技術大臣コミュニケでは、公的資金による学術出版物及び科学データへの即時のオープンで公共的なアクセスを支援することが宣言された。日本政府も2025年度の競争的の新規公募分から即時OAを開始する方針を示している。
OAには出版時にOAコストを支払うゴールドOAと、著者自身が機関リポジトリ等で論文を公開するグリーンOAがある。日本はこれまで機関リポジトリによるグリーンOAでのOA実現を目指してきた。しかし、研究者によるセルフアーカイブだけでは十分なOA化は難しいとの指摘もある。英国、米国、EUなどではすでに公的助成の成果物のOA化を義務付ける政策が進められている。
一方で、OAの商業化も進み、高額な論文掲載料(APC)の問題も生じている。こうした状況に対し、研究者主導の非営利型オープンインフラへの投資を求める動きもあるが、十分な資金確保は難しいとの見方もある。OAの義務化により、機関リポジトリへの登録件数の増加と業務量の増大が予想される。セルフアーカイブへの対応も検討課題となる。
また、OA義務化に対応した投稿先の選定のため、各雑誌の著作権ポリシーのデータベースの重要性が高まっている。OAの義務化は、オープンサイエンス推進の土台となる重要な施策だ。一方で、研究者の負担増加などの課題もあり、どのように対応していくべきか、さらなる議論が求められる。
参考 機関リポジトリ
※リポジトリ(repository)とは、英語で「貯蔵庫」、「倉庫」などを表す言葉で、 世の中には○○大学リポジトリ、××リポジトリといった大規模知識データベースやソフトウェアアーカイブが存在します。
https://ouj.repo.nii.ac.jp/?page=1&size=20&sort=controlnumber